生ごみについて調べていたら、いつの間にか「ごみとは何だろう」と考えるようになりました。
きっかけは、黒水虻でした。
台湾では、黒水虻というハエの幼虫を使って食品廃棄物を処理する仕組みが注目されているらしいのです。
黒水虻。
名前だけ聞くと、なんだか恐ろしい虫です。
でも、その幼虫は食品廃棄物をよく食べます。
生ごみを食べて育ち、幼虫そのものが飼料などに利用される。
そこで、ふと思いました。
人間にとって生ごみでも、黒水虻にとっては食べものなんだ。
当たり前のことなのに、私は今までそんなふうに考えたことがありませんでした。
ごみというのは、人間側の言葉
生ごみという言葉は、人間から見た名前です。
私たちが「もういらない」と判断したもの。
だから、ごみ袋に入れる。
収集車が持っていく。
焼却場で燃やす。
でも、それを別の生きものの側から見たらどうでしょう。
野菜の皮。
果物の皮。
食べ残し。
それらは、微生物にとっては栄養になります。
ミミズにとっても食べものになります。
黒水虻の幼虫にとっても食べものになります。
発酵に関わる微生物にとっても、エネルギー源になります。
そして、土に戻れば、また植物につながっていく。
そう考えると、
「ごみ」というのは、ずいぶん人間中心の言葉なのかもしれません。
キエーロでは、誰が食べているのだろう
私はキエーロを使っています。
キエーロに生ごみを入れて、土をかぶせる。
しばらくすると、生ごみはなくなっています。
以前なら、
「生ごみが消えた」
と思っていました。
でも、本当は消えたわけではありません。
土の中の微生物が食べて、分解している。
見えない小さな生きものたちが、生ごみを自分たちの世界に取り込んでいる。
そう考えると、キエーロの中で起きていることが、少し違って見えてきます。
私が生ごみを処理しているのではない。
微生物に食べてもらっている。
私は、ただその場所を用意しているだけなのかもしれません。
ミミズにも、黒水虻にも、それぞれの世界がある
世の中には、ミミズコンポストもあります。
ミミズに生ごみを食べてもらう方法です。
そして、黒水虻を利用した生ごみ処理もあります。
こちらは幼虫に食べてもらう。
さらに、メタン発酵では、嫌気性微生物が有機物を分解して、バイオガスを生み出します。
こうして並べてみると、面白くありませんか。
生ごみを、
「どうやって捨てる?」
と考えていたときには、答えは「ごみ袋」しかありません。
でも、
「誰が食べられる?」
と問いを変えた瞬間、選択肢が増えます。
微生物。
ミミズ。
昆虫。
発酵菌。
土。
それぞれの世界が見えてきます。
目線が、人間だけのものではなくなっていく
最初は、
「生ごみを減らしたい」
という人間の都合でした。
ごみ袋を軽くしたい。
臭いをなくしたい。
焼却する量を減らしたい。
処理費用を減らしたい。
もちろん、それは大切なことです。
でも、そこから少しずつ目線をずらしていくと、
「微生物にとってはどうなんだろう」
「ミミズにとっては?」
「黒水虻にとっては?」
「土にとっては?」
と考えるようになる。
いつの間にか、目線がどんどん人間のそれではなくなってきます。
これは、私にとって結構大きな変化でした。
自然農を始めてから、畑でも同じようなことを感じることがあります。
草を「邪魔なもの」と見るのか。
土を「植物を育てるための器」と見るのか。
そこにいる微生物や虫まで含めて、一つの生態系として見るのか。
見方を変えると、同じ場所なのに、まったく違う世界が見えてきます。
「処理する」から「めぐる」へ
生ごみを処理する。
この言葉には、
「人間にとって不要なものを、どこかへ片づける」
という感じがあります。
でも、
土の中の微生物に食べてもらう。
ミミズに食べてもらう。
黒水虻の幼虫に食べてもらう。
発酵微生物に分解してもらう。
そう考えると、生ごみは「不要なもの」ではなくなります。
ただ、次のいのちへ渡っていく途中のものになる。
食べものだったものが、別の生きものの食べものになり、その先で土や植物やエネルギーにつながっていく。
「捨てる」から「めぐる」へ。
生ごみについて調べていたはずなのに、いつの間にか、暮らしそのものの見方が変わっていました。




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